17回も職を替えた
山梨県甲府市生まれ、母子家庭で育ち、沼津、下関、鹿児島など各地を転々とする。
中学卒業と同時に集団就職で大阪へ。
家族に仕送りするために少しでもいい賃金を求めて17回も職を替えた。
1965年、フジテレビ系の「リズム歌合戦」に出場して優勝。
チャーリー石黒にその才能を見出され渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属。
スクールメイツを経て翌1966年、その後の彼の数多くの代表曲を手がける恩師・猪俣公章作曲、吉川静夫作詞による「女のためいき」でデビュー。
「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした故・青江三奈と共に、「ため息路線」として売り出される。
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